生活保護受けたいって言ったら家族から総スカンされた社会不適合底辺労働者
どうも、生活保護を受けたいと言われたら家族に総スカンを受けた社会不適合底辺労働者です。
自分自身、働くことに対して楽しいって思ったりやりがいを感じたこともないし、飯を食うため、日本国民として必要最低限国民として扱ってもらえる位の認識でしかない。
家族の者は自分の代わりに働きたいとか子育ては自分にやらせて自分が稼ぎたいという。
そんなに働きたいなら自分で探せばいいのに、と思うし子育てを選択してしまって自分に子育てをやらせて働きたいというなら産まなきゃいいのに、なんて思う歪んだ自分の考えがグルグルと回る。
自分自身働くことに期待なんてしてないし、自分にも他人にも期待なんてしていない。
期待って言葉は言われるときは必ず自分が期待して欲しい時じゃない時に必ず言われてる言葉であからさまに期待する人の欲望が気持ち悪い位に感じてしまう。
自分のやりたいことは必ずしもカネになるものではないし、誰にも理解なんてされないし、この資本主義を謳って格差社会で実は上手い具合にセッティングされてる社会主義のようなこの国では生産性なしのくだらないことをグダグダ言ってるだけのものである。
例えるなら世間から認められなった場合の価値のないバンクシーや世間では認められかった場合の薄っぺらい相田みつをの詩みたいなものです。
だから自分のやりたいことの為に生活保護で最低限の生活をして、自分のやりたいことをした方がいいのかな、なんて思ってる。
学生の時はただ安定してるから公務員でもいいかな、なんて思ってやったがそんな頭ではなれる訳はなく(自○隊はやったけど高卒でいいんじゃんと今でも言われる)高校受験の時も別に高校生をやる意味があるのか?なんて考えてたし、義務教育ではないから働くっていうのもアリなのかも?なんて思ってた。
っても、別に仕事をしたいなんてその当時は一度も思ったことはない。
専門学校行ったのに無職とか成人になったのに無職とか世間体の為に仕方なく働くか、程度だった。
五体満足で健康的なら働きなさい、それが常識って誰が決めたんだろうか?
常識通りにやるのが正しいとしても心が納得するのか?って、言われたら自分は納得してないと思う。
常識ってダメージを安くしておくための手段であって、自分の本心に対してメチャクチャ偽ったり傷つけたりする行為なのかな、って感じるんですよ。
感情的になってしまったけど家族と縁を切りたいって言ってしまった。
常識という同調圧力をしておいて、人に婚活や老後の介護とか色々いって何かあるときにやたら頼みごとをする、そんな家族に疲れたというか、元々自分は家族すら他人と感じていた部分もあったから冷たいかもしれないけどね。