ダビスタをやっていた時に煮え湯を飲まされたライバル馬スペシャルウィーク死す
ダービースタリオン(通称ダビスタ)という競馬ゲームでライバル馬として、様々なレースで自分の作った馬に「これが馬の力はこんなもんか?こんなスペックじゃクラシック戦線勝つなんて無駄だ」と言わんばかりの強さを見せてくれたスペシャルウィークが23才で死にました。
1990年代を中心に今でも日本が世界に誇る武豊騎手に初のダービージョッキーのタイトルを与えてくれたスペシャルウィークは産まれてすぐ母親がなくなるという悲劇に合いながらも同世代のエルコンドルパサーやグラスワンダーやセイウンスカイ(この馬達も本当に凄い馬だし、ダビスタで煮え湯をとことん飲ませてくれた馬達です)と戦った、競走馬として走ること母のキャンペンガールは日本の牝系のエリートのシラオキの血を継いでいる馬で父親はあの日本の競馬界に一つの系統を作ったサンデーサイレンスです。
まるで走って勝って日本の競馬の歴史を守っているような運命を持つ馬でした。
引退後の彼に待ち構えていたのは種牡馬としての戦いでした。
競走馬は走って勝つ、もしくは優れた血統で歴史に繋いでいく生き物。
弱ければ、もしくは時代とその国の競馬事情に合わなければ淘汰されるシビアな世界です。
子供のシーザリオは日米のオークスに勝ちました。日米のオークスを取るのは当時は初だったのではないかと思います。(オークスはダービーの牝馬バージョン、優駿牝馬というレースです)
ブエナビスタは阪神ジュベナイルフィリーズで2歳馬の牝馬チャンピオン、3才牝馬の三冠レースの桜花賞とオークスの二冠、ヴィクトリアマイルでは経験豊かな古馬の牝馬に勝ち、天皇賞・秋やジャパンカップでは牡馬や世界の馬と戦った男の馬も真っ青な経歴で今は繁殖牝馬で頑張っています。
牡馬ではゴルトブリッツが地方競馬で凄く有名でランクの高いレースの帝王賞に勝ったけど5才でなくなる短命でした。生きていれば地方競馬の種牡馬やダート系で頑張れるサンデーサイレンス系のニーズもあったかもしれません。
トーホウジャッカルは3.11の地震の日に産まれ、最初の頃は競走馬としてデビューできないかも?と心配されましたが競走馬になったらなんと、父親が勝てなかった菊花賞に勝った馬になりました。
父親の無念は息子が晴らすと言わんばかりの活躍で、彼の最後の勝利も菊花賞。
その後は勝てないレースが続き、引退して種牡馬になりました。
スペシャルウィークは自身も代表産駒も波瀾万丈というか普通の競走馬でない馬生を歩んでますね。
子供の頃から知っていた馬なので、一つの時代が終わったんだなと感傷に浸っています。